イ・ヨンフン 李承晩学堂校長の竹島/独島をめぐるMBC批判

 

[イ・ヨンフンの歴史批評] 独島の火種を焚きつけるMBCの不純な意図

2023.08.11  李承晩テレビ

https://youtu.be/aDLKCn1COew?si=Q-N0uwj9SgqBbnnZ

 

 事実と自由の価値を追求する李承晩TVの愛聴者の皆さん、こんにちは。

 少し前に本学堂へMBCのあるPD( Program Director)が訪ねて来て、8.15光復節に放送する特集番組の企画に関連して協力を求められました。尹錫悦大統領が日本の岸田首相と共に過去3年間危機にあった両国関係を復元し、同伴者関係を確認しているが、両国間には強制徴用、慰安婦、独島など解決すべき問題が残っているのが事実である。2005年以来、日本政府は外交青書防衛白書において、独島、日本語ではタケシマですが、独島は日本の領土だと、韓国がそれを不法占有していると主張している。この問題が今後の韓日関係にどのような影響を及ぼすか。そういう問題を扱う光復節特集番組を制作するということでした。

 本学堂を訪れたMBCのPDは、独島に関する日本のこのような態度に対する私の立場はどうなのか知りたいとしてインタビューを要請しました。私はちょうどその時学堂におらず、そういう要請を後で伝え聞きました。私は過去に二度、MBCとの間で非常に不愉快な経験を持ったことがあり、また、それとは別に、普段からMBCが果たして公平性を生命とする公共放送であるかについて疑問を抱いていたので、そのような理由でMBCの要請を拒否しました。そうしたら、私に直接電話を掛けて来てインタビューを求めました。私は同じ理由を挙げてインタビューを断りながら電話を切りました。すると、次のような手紙を送って来ました。

 「教授が発行なさった『反日種族主義』という本が、日本で独島が韓国領土ではないという根拠として引用されているのが事実です。最近、日本政府の全ての公式文書で、独島は日本の固有領土であり、韓国が不法占有しているという表現が完成しました。これに対する教授の見解を番組に反映したいのでご連絡ください。」このような文章でした。私は、この文章を見て、このPDは独島問題についてきちんと知っていないし、独島に対する日本政府の立場がどうなのかを調査・研究したこともなく、さらには、私が2019年と2020年に編集して出版した『反日種族主義』と『反日種族主義との闘争』という本も精読していない、そういう判断をしました。私は、これまでいくつもの新聞や放送のインタビューを受けましたが、事前に私の本や主張を理解し、その内容や問題点を中心にレベルの高い質問を提起したり議論を導いていく記者を見たことがありません。この記者も同様ではないかと思います。

 私の知る限り、日本政府は、韓国政府が独島を我が国の領土に編入した1952年から今まで独島に関して一貫した立場を維持して来ました。両国政府は1954年から65年まで、独島の所属を巡って四回の公開的な攻防を行いました。独島が自身の固有領土という日本側の実証的・論理的根拠は、既にその当時に完成されていたと言えます。以後、日本政府が外交青書防衛白書において独島に対する領有権を主張するのは2005年からですが、それは私の本で良く説明したように、そういう事情があったからそうなのです。つまり、両国間に成立していた独島をめぐる無言の約束が破壊されたからなのです。そういう事情があるのに、MBCのPDは独島領有権に関する日本政府の立場は最近完成されたと言い、そうなったのには私が出版した『反日種族主義』という本が重要な影響を与えたと言いました。これらは全く事実ではありません。以前から成立して来た日本政府の立場が私の主張に影響を受けたというのも憶測ですし、その日本政府が独島問題に関して今後攻勢的な立場をとるだろうという文の中に隠れている予断も、憶測であることは同じです。

 2023年の今年も日本政府はその外交青書防衛白書で独島に対する領有権を主張し、それに対して韓国政府は駐韓日本公使を召致して抗議しました。このような両国間の外交的攻防は2005年から18年間例年の行事として続いて来ているし、また今後も続くでしょう。私は先の二冊の本において、両国間の独島紛争は今後も、例え100年間でも低いレベルで賢く管理されなければならないと主張しました。このような私の立場は私にインタビューをする必要もないもので、私の本で詳しく明らかにしています。

 

(5:56)

 MBCが本学堂に伝えた8.15特集企画案という申出書を見ますと、北韓、中国、ロシアと韓国、アメリカ、日本との間の軍事的競争が激しくなる中で、独島の軍事的価値はさらに高まっていると主張しています。果たしてそれは事実なのか、独島の軍事的価値はどれほどなのか、それが果たして新冷戦時代に高まっている趨勢なのか、私は分かりません。私はそうは考えません。ともかくも私が判断するに、MBCは、独島紛争を素材とした光復節特集番組を通じて我が国民の反日感情を煽り、日本との友好関係に、さらには韓米日三国が推進している協力関係にブレーキを掛けたいという意図を持っているようです。そういう企画意図から、私が編集した『反日種族主義』と『反日種族主義との闘争』という二冊の本を、・・・・・・・・・・を切り取るやり方で、まるで私が日本の肩を持つ人物であるように報道する可能性まで予想されます。今回の「歴史批評」のテーマをこの問題にした前後の事情はそういうことです。

 

 7:13

 今回は、先の二冊の本を通じて、特に『反日種族主義との闘争』という本で十分に示したと思われる独島に関する私の立場をもう一度要約して視聴者の皆さんにお伝えすることで、もしかしてMBCの光復節特集放送で生じることになるかもしれない私と二冊の本に対する大衆の誤解を未然に防止しようと思います。 二冊の本で指摘したように、ある国家間の領土紛争は本質的に政治的で軍事的な問題です。国家間の領土は政治的意志と軍事的行動でその所属が変ることがあります。歴史的に見て全ての領土紛争はそうだったと思います。独島が我が韓国の領土になったのは1952年1月に李承晩大統領がいわゆる平和線を宣言し、独島をその中に編入させたことによってでした。以後、その線を越える日本の漁船と漁民を捕らえて収容しました。強制的に拿捕され収容された日本の漁民はおよそ2,000余名に達しています。以後、今日まで独島が私たちの領土として韓国政府の領有下にあるのは、まさにこのような強引な李承晩大統領の措置によってでした。しかし、独島はそれより47年前の1905年に、日本政府がどの国も先占したことがないという理由で自国の領土に編入した島でもあります。そういう理由から、1952年4月に発効したサンフランシスコ条約によって主権を回復した日本は、韓国政府のこのような措置を今までも認めていません。日本は、韓国が独島を不法に占有しており、かつて紛争の解決のために独島問題を国際司法裁判所に持って行こうと主張したりしました。

 (9:16)

 したがって、私は、独島問題を正しく評価して理解して対処するためには、何よりも李承晩大統領が何の理由で何のために強引に独島を私たちの領土に編入したのか、その歴史的意義は何だったのかを理解することが非常に重要だと思います。独島紛争にも拘わらず、1965年に両国間の国交正常化が成立し、国交正常化の過程で独島に関する何らの言及も省略され、以後40年間、両国間の独島をめぐる紛争が公式的に提起されなかった理由は何であり、そして、具体的に言って、朴正熙政府以来、独島紛争を賢明に管理してきた両国政府の独島政策とは何か、その歴史的意義をどのように評価すべきかがまた重要な問題だと思います。

 それにも拘わらず、これまで我が政府の外交部やシンクタンクである東北アジア研究財団、その他の多くの大学に設置された独島研究所などが進めて来た独島研究は、そのほとんどが、独島は新羅以来、私たちの歴史的に固有の領土であったという主張を立証することに注力して来ました。独島を私たちの領土に編入させた李承晩大統領の措置とその歴史的意義については、何らの関心も置きません。私は『反日種族主義』と『反日種族主義との闘争』という二冊の本において、独島は新羅以来の我々の固有領土だとする一般化した通説のさまざまな根拠を、一つ一つ批判して否定しました。独島の通説に関する私の疑問は、かなり以前に『三国史記』と『高麗史』という歴史書を私が読む過程から積み重なり始めました。そして、いつでしたか、日本の自民党のある議員が鬱陵島にある独島博物館を観覧する目的で韓国に入国しようとしましたが、空港において入国を拒否される事件が発生しました。その時、私は、インターネットを通じて、韓国政府のこのような措置を非難し、さらには嘲笑までする日本の新聞記事と読者のコメントを見たことがあります。報道によれば、その日本の議員は独島博物館に展示されている朝鮮王朝が作った地図について、それは韓国側の独島領有説の主張の根拠になることができないという主張をする計画でした。我が外交部は、日本の議員がそういうふうに公開的に提起しようとした論争を受ける勇気が無かったということでしょう。さらに、合法的な資格で入国しようとする人物を空港で送り返すこの国は、果たして通行の自由を保障している世界が認める自由民主主義国家だと言えるでしょうか。私は当時、そのような疑問と問題意識を感じました。

 

(12:09)

 そのようなきっかけから、私は図書館に行って、独島に関する地図を集めた国史編纂委員会が発行した資料集を閲覧しました。私は、我が政府や研究者たちが朝鮮王朝が製作した地図を根拠として独島固有領土説を主張するのなら深刻な問題点があることを、その時に知ることになりました。それは、私がいつでしたかYouTube放送を通じて述べた表現ですが、まさに当時于山として語られているその島は、鬱陵島周辺を漂って消える島でした。詳細は先の2冊の本に書いていますが、以後、独島関連の論文や本を読んで、私は、独島こそが我々韓国人を支配している前近代的な種族主義の最も重要な象徴であることを、シャーマニストのトーテムのようなものであることを悟りました。

 広く知られた通説としての独島固有領土説は、厳格な実証、理性的な推論、合理的な結論の全てを欠いています。論文や本が出版される時、それに対する客観的で公正な批評も完全に欠如していました。感性的な衝動、一方的な確信、当為的な煽動が共有されているだけです。例として、鬱陵島のそばに于山島があってそれが正に独島であったとする従来の主張で、于山島は15世紀中盤以後に表れて1900年代まで長期存続した幻想に過ぎませんでした。その長い期間、朝鮮王朝は于山島の所在、大きさ、状態を探査しようとしませんでした。幻想はただ幻想でした。朝鮮王朝500年に亘って今日の独島に上陸して島の状態を調査した官吏は、中央政府や地方政府の官吏はただの一人もいませんでした。言い換えれば、朝鮮王朝は中央政府でも地方政府でも、独島の客観的所在を認知してそれに対する領有体制を​​実質的に成立させたことはありません。

 

(14:14)

 そんな中、1900年に王朝が・・・・・するまで、独島の客観的存在を正確に知ることができませんでした。1900年、大韓帝国鬱陵島を鬱島郡に昇格させた時、竹島と石島という二つの島を管轄するとしました。研究者たちは一様に当時の石島が今日の独島だと主張して、また、そのような主張を教科書にまで載せて我々の子供たちに教えていますが、私が論じたように、これほど酷い強弁もないでしょう。1905年1月、日本は独島を自国の領土に編入しました。一年半後にその事実を通報された大韓帝国はそれに対して抗議しようとしたが既に外交権を奪われていて不可能だった、という主張がありますが、それも全く事実ではありません。当時の資料を厳密に調べれば、大韓帝国の高位官僚たちは日本に奪われた島とは何なのか正確に分からず、それを調べて追及するような意志も持っていませんでした。私は独島関連の資料を多く読んで、ある歴史的事実が種族主義の論理と掛け声で包装されたとき、どれほど深刻な事実と論理の歪曲が発生するのかを明確に経験しました。

(15:34)

 独島に関する通説を批判する私の作業において、私は何らの論理的で実証的な混乱を経験しませんでした。私は、私が2冊の本を出版したことに対して、何人かの研究者が私を批判して、それに対して論争の形態として対応したことがありましたが、果たして彼らが私の主張を正確に理解していたかどうか疑わしいほどでした。どの研究者であれ、どの団体であれ、私を公開的な学術会議や非公開の内部セミナーに招請したことはありません。彼らは私をただ親日派だと罵倒するだけでした。最も嘆かわしいのは我が外交部の姿勢です。私の主張に最も大きな影響を受けるのは、外でもない外交部です。私は外交部が主張してきた独島固有領土説を一つ一つ否定し、その代わりに新しい対応論理を提示したのです。外交部は、私と討論すべきだったのです。そうするどころか、外交部は東北アジア研究財団に予算を突然倍増させながら、私の主張に反論するように注文したそうです。金を出せば新しい資料や新しい論理が出て来たり開発されたりしますか。私はどこからも何の研究費も貰わなくとも、新しい資料と論理を開発しました。私の主張に対する外交部の行動は、まだこの国の外交が低次元で低知識の低責任性の種族主義のレベルにとどまっていることを物語るだけです。

 さて、私が提示した独島方案に戻りたいと思います。独島紛争に臨む今日の政府や国民の真の姿勢は、それを私たちの領土に強引に編入させた李承晩大統領の意志は何を志向していたのか、その歴史的意義を取り戻す作業、正にそれなのです。

 

(17:31)

 以前に2冊の本で十分強調したように、李承晩大統領の独島編入は、新生国の国民造り作業において重要な象徴を成していました。歴史的に無気力で分裂にあった我々韓国人が自由と独立の精神で鍛練された国民として統合されて行くに当たって、我々を支配して抑圧した日本との闘争は、非常に重要な歴史的課題だったのです。また、李承晩大統領は新生後進国の領土をむやみにくっつけたり取り除いたりするアメリカの横暴に対しても抵抗しました1946年、日本・東京の連合軍司令部は、日本政府の主権が及ぶ線を描く際に、いわゆるマッカーサーラインと言いますが、独島を将来独立する韓国領に包含させました。独島は日本の島である隠岐よりも韓国の鬱陵島により近いです。天気が良ければ朝日と夕日を背景にしてしばらく見える島です。1905年頃、鬱陵島の住民たちはその島を独島と呼びながら、自分たちに付属する島だという領有意識を持ってもいました。その島を、無能だった朝鮮王朝が日本に取られてしまったのです。私は、そんな程度のことが我々が日本と独島に関する紛争を繰り広げながら主張する根拠ではないか、そう考えています。

 東京の連合軍司令部が独島を私たち領土に編入させたのは、それが正に韓国領土により近いという単純明瞭な事実一つの基礎で用いられたと考えられます。そうすると日本がアメリカにロビーを繰り広げて、言い換えれば、1905年以来日本がその島を領有していた事実を挙げて米国国務省を説得し、1952年に発効したサンフランシスコ条約では独島が韓国領から除外されました。李承晩大統領はそのような米国政府の一方的な横暴、付けたり離したりするそういう横暴に抵抗したのです。私は先の本で、李承晩大統領は当時の後進国のどの政治家もできない、米国の高い鼻をひねる措置を取ったと言いました。要するに、独島は植民地出身の韓国人を独立した近代国家にする、どこの国もむやみにその威信を無視できない独立国家の国格を守るための第一の象徴であり、一方、朴正煕大統領は李承晩大統領の独島編入という、見方によっては非常に作為的な措置が引き起こすしかない国際的バランスを賢明に扱いました。1965年、両国政府の首脳部は、独島密約と呼ばれる交渉を通じて独島紛争を水面下に沈めたのです。両国は互いに独島の領有権を主張するが、それに対して異議を申し立てずに、漁業に関しては独島を囲む共同漁業区域を設定し、韓国が独島を領有している現実を認めるが、施設の新築または増築はしないという、そういう約束でした。海に立つ無用の岩をめぐって両国の不毛な紛争を繰り広げる必要は無かったのです。それよりも遥かに重要なことは、両国の未来志向的な友好関係でした。自由人の国際社会を東北アジアに建設して行こうとする共同の作業でした。

 その独島密約を土台として1965年に両国の国交が正常化して、その土台の上に30年以上、韓国経済は高度成長を享受しました。その建設的な約束が破壊されたのは、残念ながら韓国の責任です。1995年、金泳三大統領は日本政府の抗議にも拘わらず、独島に堤防施設を建設しました。両国間の紛争が公式化するのは、盧武鉉大統領のときでした。彼は、独島問題を我々の主権として扱うと宣言して、独島の警備部隊を増加させ、堤防施設を拡充して民間観光を許容しました。

(21:53)

 すると日本政府は、独島問題を防衛白書外交青書で韓国が不法占有していると明らかにし、中学校の教科書にまで独島問題を記述することで、独島紛争を日本の国民的課題として扱うようになります。そういうふうに悪化した両国の友好関係は、先の文在寅政府に至って最悪の状態に到達しました。文在寅政府は、独島海上韓国海軍艦艇が独島に接近する日本の海上偵察機に向かってレーダーを照射する、つまりミサイルを発射して撃墜する準備に突入する軍事行動をしました。その責任の所在はまだ明らかにされていませんが、このような敵対的軍事行動は、日本政府と国民に大きな衝撃を与えました。図らずも文在寅大統領は、日本を潜在的な適性国家と見做したのです。現在、尹錫悦政府はこのように危機に陥った両国の友好関係を修復しようと力を尽くしています。来る18日、米国政府の招請で米国・韓国・日本の三者トップ会談が開かれるそうですが、この会談を通じて3国の軍事的・経済的同盟関係がさらに固まることを願います。

 このようなときに、MBCが眠っている独島紛争の火種を投げました。両国の友好関係を阻害して、さらに米日韓三国同盟に傷をつけたいのです。MBCに声を大にして尋ねます。独島に対する我が大韓民国の領有権にどんな事故や脅威が現実的に発生したでしょうか。そんな兆しでもありますか。過去20年間、年例行事として低い水準で管理されて来た独島紛争を増幅させて得られる我々の国益とは何なのか。独島紛争は一方的な煽動や・・・・・によって解決することはできません。独島の領有権に対する私たちの立場を固くする中、相手の立場も配慮する、そうやって紛争を低い水準で儀礼的に管理する知恵が必要です。私は、両国政府が現実的にそうしていると考えて、そういう分別、自制、配慮こそ私たちが先進社会に進む不可欠の徳目だと思います。そうした趣旨で、MBCが企画している光復節特集放送は、私が見るにはその意図がひどく歪んでいると感じられます。これで終わりとします。長時間の視聴ありがとうございました。