海外の古地図で「独島」と「東海」を探す

<発掘> 海外古地図の中の独島と東海に会う

 

キム・テワン  月刊朝鮮記者  

デイリー月間朝鮮 ニュースルーム 2024年1月号

https://monthly.chosun.com/client/news/viw.asp?ctcd=J&nNewsNumb=202401100001

 

 デュ・アルド(Jean-Baptiste Du Halde)が1735年に出版した「Description de la Chine(中國志)」に挿入された「朝鮮王国全図」。この地図はフランスの地理学者ダンビル(D'Anville)が製作し、朝鮮を単独で描いたヨーロッパで製作された最初の地図だ。鬱陵島はFan-ling-tao(パン-リング-タオ·鬱陵島)、独島はTchian-chan-tao(チャン-チャン-タオ·千山島)と表記している。この表記は18世紀と19世紀初め半ばまで続いた。赤い丸の中が鬱陵島と独島だ。

 

 

  古地図収集家であり韓国海研究所所長のイ・ドンス(李燉帥)専門コレクターは、数十年前から独島が収められた外国の古地図を探して来た。1500年代から1910年までの間、世界10カ国以上で製作された、「独島」「東海」が韓国の領域であることを証明する史料だ。日本の独島挑発に対抗して独島が確かな私たちの土地であることを明らかにする方法の一つが、外国の古地図の中の独島を探して世の中に示すことだと彼は信じている。

 

 

 アントワーヌ・フランソワ・プレボ(Antoine François Prévost)の「一般旅行の歴史(Histoire générale des voyages)」第6巻に収録された「朝鮮全図」。ダンビルの〈朝鮮王国全図〉を基礎として、1748年にベレン(Jacques-Nicolas Bellin)が製作した地図だ。東海はフランス語の韓国海である「Mer de Corée」と表記された。赤い丸の中が鬱陵島と独島だ。

 

 

  「海洋境界線が描かれた古地図は、独島の領有権に関して国際社会を説得できる最も明瞭な資料です。」

  イ・ドンス所長は、「外国古地図の中の東海表記と独島領有権は離そうとしても離せない関係」と語る。しかし、近年、独島関連の新しい地図の発掘はほとんど行われていない。イ・ドンス所長は〈未発掘外国古地図収集プロジェクト〉を推進中だ。彼は「これから探すべき未発掘の古地図は世界中に多く存在する。スポンサーとファンディングを受けて、引き続き古地図を発掘する」と話した。以下は、イ・ドンス所長が確保した独島関連の古地図だ。

 

 アブラハム・オルテリウス(Abraham Ortelius・1527~1598年)の地図帳『世界の舞台』 1595年版本に収録された〈日本列島地図〉に島として描かれた朝鮮。

 

 

 フランス地図製作家のギヨーム・ドリル(Guillaume Delisle・1675~1726年)が1705年に製作した〈インドと中国地図〉をもとに、コベンスとモルティエ(J. Covens & C. Mortier)がアムステルダムで1720年頃に製作した地図。東海を「東洋と韓国海(Mer de Corée)」と併記している(赤い円の中)。

 

 

 1705年、ド・フェル(De Fer)が製作した〈東部アジア地図〉。日本をNiphon、東海を「韃靼人たちが東洋(Mer Orientale)と呼ぶ」と表記している。

 

 

 ドイツの天文学者ヨハン・トビアス・マイヤー(Tobias Mayer・1723~1762年)が1749年に製作した〈韃靼領中国及び日本地図〉。地図東側の海岸に「Kaoli Koue(高麗国)あるいはRoyaume de Corée(コリア王国)、Tchao-Sien(朝鮮)、そして満州ではSol Ho KourounまたはRoyaume de Solgoと呼ばれる」と表記されている。鬱陵島と独島はダンビルの表記に従っている。赤い円の中が鬱陵島と独島だ。

 

 

 ギョーム・ドリルが1723年に製作した〈アジア地図〉。東海を「韓国海(Mer de Corée)」と表記している(赤い円)。

 

 

 フランス・パリで1757年にベルレンが製作した〈朝鮮全図〉。東海はフランス語の韓国海である「Mer de Corée」と表記された。鬱陵島と独島はダンビルの表記に従っている。赤い円の中が鬱陵島と独島だ。

 

 

<コメント>

 「海洋境界線が描かれた古地図は、独島の領有権に関して国際社会を説得できる最も明瞭な資料です。」と仰るが、全くそうではないですよ。こういう努力はほぼ意味がない。